「eスポーツを1.1倍面白くする! 正しい“煽り方”」(書き起こし・一部抜粋)

「ゆるふわeスポーツ座談会」(略称:「ゆるふわeスポーツ座談会」)に参加しました

お疲れ様です、pontaです。

wellplayedのアカホシさんにお誘いいただき、「ゆるふわeスポーツ座談会」で登壇してきました。ゆるふわという建付けで、けれどもesports界隈のキープレイヤーが集まるという恐るべきイベント。

たくさんの超人が居並ぶ中で、ワイのような素人に毛が生えた人が提供できる与えられるものは何か、と考えたときに選んだテーマはこちらでした。

「eスポーツを1.1倍面白くする! 正しい“煽り方”」となります。

まず最初に言っておきたいのが、esportsにとって「煽り」はなくても十分、成立するということです。

ゲーム競技そのものに感動はある。驚きがある。歓喜もある。

「煽り(演出)がなければ、eSportsはつまらない」と言うのは、おこがましいにもほどがあると思っています。

ただ、「煽る」とコミュニティの内外にいいことがある。

まず「煽り」があると「濃い人(内側)」がより濃く楽しむことができます。

たとえば「A選手とB選手の因縁の仲」とか「C選手がD選手をYouTubeでいじってから関係性が微妙になった」とかいう説明を入れるだけで「公式わかってる」感が出て、コアファンのロイヤルティを獲得できます。

そうやってコアファンがイベントを楽しむことで、中心部の熱量が上がり、リアルイベントに足を運ばせるなどの磁力を発生させることができます。

ただ、濃い人は、文句たれながらもコンテンツを見るんで、「数」には影響を与えません。

「煽り」がビジネス的により大事なのは、「薄い人(外側)」に与える影響力です。

「他人のゲームのプレイなんか見ねえよ。自分のプレイが一番だよ」という普通の人たちの視聴行動に影響を与えることができます。

例えばですけど、「クラッシュドラゴンキングダム(適当)」とかいうゲームのesportsイベントがあっても、普通の人は見ませんよね。

ただこの選手たちが女取り合ってて、勝ったほうが女と付き合えるとかだと、興味がわきますよね。

まあ、ガンのお母さんのために戦うという美談でもいいですけれども。

つまり「煽り(戦う意味)」があることで「物語性」「文脈」が付与され、競技コンテンツの魅力が1.1倍(以上)増加するのです。

試合の「デジタルな結果」だけで価値があると思ってるのは運営の傲慢ではないか?と私は言いたいです。(まあ、このイベントに参加するような人にはそんな人はいませんでしたが…)

どっちが勝った負けたとか、高いレベルのプレイだとか、それはもう人をひきつける動機にはならねえっちゅーの。

それは大事ですが、盛り上がった「先」の話です。

「煽り」もそうだし「美談」とか「自分と同じレイヤーにいる」とかそういった「文脈」があってはじめて観戦のモチベになると思うんすよねー。

つまりは「人」なんです。

人に興味を持ってもらうのが一番だいじ。

「ここに来れば高いレベルのプレイが見れる!」なんかじゃ人はあつまらないんですよ。「あいつらのプレイに価値があるから人が集まる!」とかそういうのはコアファンの愛が巻き起こした錯覚なんです。

心に愛がなければ娯楽に携わってはいけませんが、制作側には一線ひいた視点も絶対に大事なわけで。

だって、高いレベル(だけで)人気が出るんなら、甲子園より大学野球やセミプロのほうが人気じゃないとおかしいですよね。

でも人気なのは甲子園のほうです。

甲子園は「熱闘甲子園」や「朝日新聞」のような良質の感動ポルノ(言い過ぎ)というシステムがあって、試合前夜に大々的に嬌声を上げているからこそ、視聴者たちは、灼熱の野球場で肩をすり減らす若者たちの姿をよろこんで見るんだと思うんすよね。

まずは人。プレイや勝ち負けのドラマはその次なんです。

「煽り」にはリスクがある

と、ここまで煽りの良さについて語ってきましたが、実はリスクがあります。

なんだと思いますか?

そう、「寒い」と「炎上」リスクです。

「内輪ノリでさむーい」とか、「公式で『煽り』なんていかがなものか」といった人たちでアツいサムイの大騒ぎです。

つまり、氷炎将軍フレイザード将軍の登場です。

氷と炎という相反する存在が自然界で同時に並存しうるのは、世の中では氷炎将軍フレイザードと、煽りに失敗したesportsくらいなんですよ奥さん。

このあたり、非常に繊細なテクニックが必要で、危険物取扱試験を合格した大人が担当すべきで、プレイヤー任せは危険だと私は思ってます。とくに若い人はプロレスができないからね。

この点、六大学野球の煽りあいはうまくて、チーム側が煽りを引き取ってやってましたね。

選手はさわやかなイメージのまま、女の子たちも傷つかず、盛り上がっていました。

正しい煽り方

さて、ここまで煽りの効果と危険性について語ってきて言いたいのが、「煽り=悪口」ではない!!!ということです。

これだけはおぼえて帰って奥さん。

相手の悪口を言って、おとしめようとかいうクソみたいな下卑た心の持ち主は、下の下です。好きとか嫌いとか、うんこみたいなもんです。便所で流されて消え去ってしまえといったところです。

本当の煽ラーは明鏡止水。

“「煽り」とは、高い自己評価(イキリ)やカリスマ性(虚像)と実態の乖離を言語化して、あるべき位置に戻す作業のことである”と個人的には思っていて、わかりやすくいうと「ラーの鏡」です。

その怪物の、身もふたもないありのままの真実を、さわやかな晴れ渡った心で指摘する、その心意気が大事なんです。

澄み切った心で正論を言う。そこに「好き嫌い」など介在するだけでおぞましい。嫌いな人でも褒め、好きな人でもつっこんでいく公平性。

砕いて言うと、「選手やチームのパブリックイメージの最大公約数」を探し当て言語化しよう。(w付きで)といったところなのであります。

なのでクラクラでいえば

「銅線とか鉄線を盗んで中国に売ってそうw」なのであります。

「煽り」で人は集まるが、記憶に残るのは「プレイ」の方なのだ

ただ、「煽り」については二の足を踏む人も多いかなと思うんですよ。

「esprots本来の魅力とかけ離れるんじゃないか」とか「ケンカしてるところが印象に残ったらどうしよう」とか。

大丈夫。人間は馬鹿だから、コンテンツの二か所しか印象に残らないらしいんすよ。

それはつまり「一番盛り上がったところ」と「終わったときの気持ち」です。

プロレスで人を集めても、最終的に記憶に残るのは選手たちの最高のプレイと終わったあとの握手だけなんだから、心配するなと。

そうやってケツを叩きたい思いでいっぱいです。

まとめ

だから繰り返しますけれども「デジタルな結果」とか「レベルの高い試合」だけで価値があると思ってるのは運営の傲慢ではないかと。

そして、競技に「煽り(戦う意味)」があることで「物語性」「文脈」が付与され、競技コンテンツの魅力が1.1倍(以上)増加する、ということなのであります。

すでに素晴らしい選手、高いレベルの試合、熱量のある運営があるんなら、なおさらです。

知恵を絞って、物語性を付与しようと。そうやって頭を絞ることで、リーグの盛り上がりはおろか、自分のチームのブランディング化や、コミュニティへの深い理解が産まれてくるわけで、絶対にみんな幸せにしかならないんじゃないかなと。思うわけでですよ、ええ。

具体的な煽り方と、煽った方については、昨日のみなさんと私だけの秘密ということで。

以上、よろしくお願いします。