人生で大事な武器はぜんぶ、本とかゲームとか、「非建設的で無駄なこと」から与えてもらったと思うんすよね

「好き」は宝

お疲れ様です、pontaです。

先日、ウイイレ実況の第一人者、ヒカックさんとお会いしました。ドズルさんを交えて。絵に描いたような好青年で、イケボで、頭もよく、しかも私のブログの読者だっていうんだからもう、好きになるしかないよね。

「一緒にいろいろやりましょう」という話をしました。

ただ問題は弊社にウイイレプレイヤーがいないこと。編集やサムネに関し、技術のあるスタッフは揃ってきたんですが、ゲームに詳しくないといいクリエイティブは作れません。

編集のテクニックは教えられるけど、愛はそれぞれの心から湧き上がるものだから。うちの会社が、どんなに名コーチでもね。(スラムダンクのマネ)

「好き」こそものの宝なのであります。

無駄だらけの青春

そういう私は子供のころから、ゲームと本が、好きでした。

ファミコンのアダプタを親に隠されたり、図書館の本をすみからすみまで読むほどの、ゲームと活字の中毒者。

中学のころの成績は良かったんですが、高校に入ったら勉強もせずに本ばっかり読んでいて、いちばん得意だったはずの数学の成績が1とか2に。

本さえ読んでれば地力でなんとかできる国語と社会は除けば、かなり悲惨な成績になっちゃいました。

それが私のなかのちょっとした劣等感で、やるべきことをやらずに好きなことにおぼれて「人生を無駄にした」感じがすごくて、すべりこんだ大学に不満はなかったけれども、高校はまーまーの進学校だったから、もうちょっとなんとかなったろうと思った日もある。

大学に入り、母が病気になって、死んじゃうってときに、とりあえず輸血したんだけど、逆にいえば輸血くらいしかできなくて。

母は私に医者になってほしかったんだよなあ、医学生だったらもっと、なんとかなったのかなと、病み衰えた彼女の寝顔を見ながら悔いてみたり。

そうは悔いても、結局、本ばっかり読んで、ゲームばっかりして、自分の「好き」ばっかり優先してダメだなあオレと自己嫌悪。そんな青春ですわ。

何の役に立つか、自分でもわからない文学部に入っては、昔の坊さんの古びた語句の意味をつきつめて考える。そんな毎日。

そして無駄が力になる

それから月日がたち、私はいま、お仕事で文章を書き、ゲームについて考えたりしているわけで。

大学で専攻したカビの生えたような古典文学、なんの役に立つかわからない俳諧はいま、私の血肉になって、端的な文章をつくるための素地になっています。

そして、無駄にしたとしか思えなかったゲーム三昧の日々が、いまの私が何者であるか、何ができるかの基準になっているわけで。

さらにいえば2~3年前、「俺がクラクラを盛り上げる!」とか、誰に頼まれてもいないのに使命感に燃えちゃって、コミュニティへの貢献にコミットしちゃって、「いちユーザーが考えることじゃないでしょ」とかまっとうな陰口を言われながら、妻子との時間を流用しながら、一生懸命クラクラのために考えた日々が、ぜんぶおいしく、私のいまの強力な武器になっているわけですよ。

人生で大事な武器はぜんぶ、無駄なことから与えてもらっている。

人間の本質ってたぶん、「やらなきゃいけないこと」ではなく、「やらなくてもいいのに、ついやっちゃうこと」にこそあって、その無駄なことが一番血肉になってるんだなって。

本業がありながらゲームのために尽くす人、クランのために汗をかく人、コミュニティのために頑張る人。いろいろいると思うんですが。

たぶんその頑張りはぜんぶ、いつかどこかでその人に還元されるだろうなと思うんすよね。別にゲーム業界におらずとも。

そしてそれを、高校時代、大学時代、無駄なことにおぼれて自己嫌悪に苦しんだ私自身に言ってあげたいっすね。

「大丈夫。無駄を愛せ。でも無駄を極めろ」と。

以上、よろしくお願いします。

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Posted by ponta