「先輩に反論するためにドラゴンボールを読了した」という薄っぺらい記事に3つの反論あり

お疲れ様です、pontaです。

ネット界隈では、下記の記事が賛否両論になっているようです。

26歳のアシスタントエディターが、先輩から「コンテンツ制作に携わる人間として、ドラゴンボールを読んだことがないなんてありえない!」というドラゴンボールハラスメント(ドラハラ)を受けたため、反論のために全巻読んだとのことです。

私、これ読んで、めちゃくちゃ不快になったので、不快ポイントを3つ、列挙しました。

感情のまま書きなぐったので読みづらいところもあるかと思いますがご理解ください。

孫悟空は我々の世代のヒーローである。ヒーローを否定されたら、そりゃ怒る

ドラゴンボールの主人公、孫悟空の活躍にわれわれの世代(70年代生まれ)は熱狂しました。

どんなピンチになっても「悟空が来ればなんとかなる」と我々は信じていました。

ピッコロに、ベジータに、フリーザに、そしてセルに地球が滅ぼされそうになったとき、いつも悟空は現れ、助けてくれました。
客観的にみればドラゴンボールは、ご都合主義的なストーリーかもしれません。

でも確かに、あのころ、地球が滅びそうな時に僕たちを助けてくれたのは、変な髪形のオレンジ色の服をきたサイヤ人。孫悟空なのです。

そして、山王戦で強敵に臆せず諦めずに立ち向かったのはあの赤い髪の変な男であり、かっこいいとは新宿の種馬のことであり、友情のロールモデルはキン肉星の王子とその仲間たちのことだったのです。

われわれ、いまはもうおっさんですけどね。ただ心は少年。その(元)純真な少年の心を軽薄なコラムで踏みにじったことは、不快以外のなにものでもない。

逆にいえば我々おっさんがいま流行っている『ワンピースの面白さがわからない』とか『進撃の巨人のストーリーって昔のマンガに比べれば破綻している』と、若者に言ったらどうでしょうか。

老害ですよね。感性が違うだけで、楽しんでる人の楽しいという気持ちを踏みにじるのはどうだって話ですよ。

彼のしたのはそういうこと。

もちろん我々も、『巨人の星とか馬鹿じゃね』とか『ベルサイユのばらの絵が古い』と言ってはいけません。

誰だって、下の世代の感性を否定できないように、上の世代の感性を否定することも許されないはずです。

ただこれは論理的な話ではない、単に感性の問題なので「感性が違う」といえばそこまでなんで。

それはそれでよしとしましょう。

編集者として感性で否定して終わるのはあまりに低能すぎる

ドラゴンボールがいま読んだとき、作品として劣る部分がある。そしてこの筆者の感性にあわなかった。そこまでは百歩譲って認めるとしましょう。

ただそれはそれとして、ドラゴンボールが全世界累計で2億5000万部以上を売り上げた作品なのは事実なわけです。

それほどのヒット作を生み出すのは、作家にせよ編集にせよ、稀有の天才にしかできない偉業です。

お前できるんか。俺はできん。

だから仮にもエディターを名乗る人間が、たとえつまらなかったとしても、「つまらない」でだけで終わらせるというのはあまりに拾ってくる感想が貧相ではないか。

個人ブログの場合はぜんぜんいいと思うんですけど、企業ブログとして見た場合、大傑作の中から見出しているものが少なすぎるんじゃないかこの低能、という気がするんですよね。

まず最初に否定しようとして作品を見る姿勢は薄っぺらすぎる

たぶん、鳥山明さんは身を削ってこの作品を描いてきたと思うんですよ。週刊誌連載ですからね。

仮にもそんな作品に対し、「先輩に反論するために、最初から否定しようという姿勢で」挑む、めちゃくちゃ薄っぺらく見えるんですよね。

全巻読んで反論のひとつでもしてやろう

「作者の苦労なんか知ったこっちゃない」というのもまあ、個人ブログならわかるんですが、企業ブログとしてみたばあい、めちゃくちゃいけてないなと。


要するにこのレビューは、世代が違う人のヒーローを主観で否定し、そしてその偉業から学ぶこともできない低能で、先輩に否定するための道具としてしか作品を手に取れない薄っぺらさがイケてないんだと思います。

この人が年をとったら、年下のおすすめマンガに対しても同じことするんですかね。

本質的に、先輩がドラハラをこの人に対してするのと、この人が上の世代の聖書であるドラゴンボールを否定することは同義だとおもうんですよねえ。そこまでは両成敗としてもいい。

ただ、それを企業ブログに面白いと思って載せる軽薄さがぶっちぎりにイケてない始末になってるんだと思います。

皆さんはどう思いますか。

ありがとう!ルフィに似た人!

以上、よろしくお願いします。