「お金はすべてを浄化する」いっぽうで、お金が絡まないコミュニティは「よどみ、恨みを貯めていく」のはなぜなんだ問題

わたしはボランティア活動をよくやってきたのだ。実は

お疲れ様です、pontaです。

刺激的なタイトルにしちゃいましたが。

無償労働やボランティア活動をいたずらに貶めているわけではありません。念のため。っていうか私自身、学生時代からタダ働きばっかりしてきた人間です。

ラジオ、劇団、ミュージシャン。果てはゲームコミュニティまで。サブカル関係のいろんな場所に出入りをしては、雑用をいとわずやってきました。



憧れの人の力になれたり、力を認められたり、(同じ趣味の女性と出会ったり)、それだけで満足でした。いま現在の私のスキルにつながっていることもたくさんあります。

汚いものもたくさん見たよ!

ただ、そこで見たものは綺麗なものばかりではありませんでした。

俳優同士の足の引っ張り合い、マウンティング。恨み、妬み、こだわり。男と女のぬめっとした争い。

人間関係のありとあらゆる汚いものをワクワクしながら見させていただきました。

なので就職先は、普通の企業にしました。そういう子供っぽいの、学生時代で十分だと思ったので。

ただ就職後も、似たようなものを何度か見ることがありました。で、そういったつまらない人間関係に縛られていたのは、営利企業ではなく、きまって非営利団体でした。

学会(文系)だったり、公的機関だったり、NPO法人だったり…。

彼らはきまって、取るに足らないこだわりによって、時間やコミュニケーションのコストを増大させ、つまりなんだ。いろいろ気を遣わされてめんどくさかったです。

お金にうるさい企業のほうが逆に「ケンカしてる時間がもったいない」「目標は売上だ」ってんでスマートでしたね。

で、こういう陰湿非営利団体って、日本だけって思いがちじゃないですか。違うんだな。海外も同じでした。

外部から強欲を噂される某外資系企業の社風はさわやかで、逆に某非営利団体はドロドロでした。

その非営利団体と付き合ってみてはじめて、外人でも「派閥が違う」とか「あいつは嫌いだ」とか、こまっけーことをグチグチ言うやつもたくさんいるんだなということを学びました。

ゲームコミュニティも同じだね

みなさんご存知のゲームコミュニティも同じですよ。

キラキラした部分もたくさんありますが、嫉妬、マウンティング、こだわり、恨みがなかなか消えないんですよね。

ゲームコミュニティだけではなく、お金が絡まない活動って「上下や名誉に執着する」のと、「こだわりや恨みが抜けにくい」ような気がします。

この理由を言語化すると「自分の価値が形として見えにくい」のと「金額が明示されないので損切りしにくい」ことにあるのかなと。

つまりですね。

私が2017年に「クラクラ日本代表戦」っちゅうのをやりました。全国オフもからめて、わりと頑張ったと思う。

でも一週間もすればみんな忘れちゃうんですよね。ああそんなのもあったね、みたいな。

自分のなかではものすごい誇らしい業績でも、参加者からすれば日常の思い出のひとつとしてあっという間に消費されてしまう。

それでいいんです。それが正しい。そこに反論はない。

でも主催者としては無償労働で、手元に残ったものがなにもないから、忘れられることがたまらなく寂しい。もっとみんな感謝しろ!って思ってしまって、本当に嫌らしいなと自己嫌悪ですわ。

クラクラのために、そして自分が好きでやってたことをいつの間にか「やってやった」という恩着せがましさにすり替わってるpontaのエゴね。

無償労働の対価を「名誉」であがなおうとする私の中の闇ですわ。

ただ、もしこれがお金が入っていたら「名誉」には執着しなかったと思うんですよね。

たとえば5万円なり500円なり入れば、それで家族と旅行するなり、ジュースを買うなりで「報われた」と消化なり浄化なりできたと思うんですよねえ。

つまり、労働をなにか客観的な数値で評価されれば、金額の大小はともかく、納得感はあったと思います。

非営利はトラブルも損切りしづらい

いっぽうで、「あいつがむかついた」とか「あいつに名誉を傷つけられた」というネガティブなトラブルがあったときもきついっすね。非営利は。

ダラダラといつまでも引きずる傾向にあります。

ちょっとしたトラブルが年月をおって風化せず、逆に爆発するのを何度も見てきました。

うーん。これが営利企業なら、損害額を明確化することで、賠償金を支払ってもらったり、別の事業で稼ぐことで、埋め合わせができて心情的に区切りをつけられるといおうか、「ネガティブ感情の損切り」がしやすい気がします。

思うに、「恨み」とか「名声」とか「評価」とか「やりがい」って非常に主観的で、概念的で、抽象的だから、それはどこかで客観的な基準に基づいて数値化されない限り、永遠に引きずったり、追いかけたりすることになるんですよね。

いわゆる「賠償金」とか「ボーナス」ってそのためにあるはずです。

もちろんお金じたいをすべての中心に据えることはイケてません。拝金主義はだめです。

かといって「心」という、人それぞれの、ふわっとしたものだけを評価の中心に置くと、ろくなことがないんですよね。

つまり、このロジックでいくと、お金じゃなくてもいいんです。

「グリフィンドールに10点じゃ!」とかでもいいと思います。(ダンブルドア校長は賢いね)



ともかく、「がんばり」や「結果」を数値化、順位化できるシステムを準備しておくこと。

そして同時に目に見えぬ「名声」は追いかけてもむなしいこと、「人間関係のちっぽけなこだわり」は時がたっても消えずに積年の恨みとなっていくということを私の学びとして、ここに言語化する次第であります。

いわゆる「汚い」と思われがちな「お金」や「数値」が逆に物事をキレイにクリアにするって面白いっすね。

以上、よろしくお願いします。