大学野球の名監督に「ポテンシャルという言葉の誘惑に甘えるな」と言われた話:採用、登用、そして戦い方のこと

かつて私は大学野球の名監督にコーチングを受けたことがある

お疲れ様です、pontaです。

私は大学時代、体育の選択科目で野球を選びました。そしてその授業を担当するのは、大学球界でも名の知れた名監督。

プロ野球に何人も選手を送り込んだ名伯楽(育てるのが上手い人)です。

いっぽう、私たち学生は、受験勉強が終わったばかりで体のなまった、素人から毛が抜けたようなドヘタばかりで。

特に私は野球が大の苦手。見るのは好きでやるのはダメという体たらくで、こんなクソみたいな男に名監督様がご指導賜るなんて時間の無駄であり日本球界の損失ではないかとすら思いました(卑屈)。

ですがその監督はとても優しくて、バッティングスピードが遅い私のために適切なバッティングフォームを伝授。

その、バットを極限まで寝かせたpontaフォームのおかげで私は練習試合でも(私にしては)ヒットを量産(1試合1個くらい)。

さすがは名監督、頂点だけではなく底辺までコーチできてすげえと思ったものです。

名監督の育成論

またその監督のそばには常に、授業サポートをする野球部の学生が1人、2人おりまして、ボールを拾ったりバットを立てたりノックをしたりがんばってくれておりました。

あるとき私と監督の周りから人がいなくなり、ふたりきりになったとき、監督は遠くで用具を片付ける野球部の学生を見ながら私に言いました。

「彼はね、うまいよ、野球が。だから、これからが楽しみだよ」

それに対し私は「この大学に野球で入るくらいならみんな上手いんじゃないですか」と素人丸出しの返しをしました。

監督は笑いました。

「いやいや。上手い下手はあるんだよ。やっぱり。それでね、結局はね、野球が上手いやつが良いんだよね。指導者はね、球が速いとか、足が速いとか、身体が大きいとか、そういう選手に夢を見るんだよ。でも違う。身体が小さくても、伸びしろがないように見えても、野球が上手いやつを起用するに限るんだ。ポテンシャルに期待なんて言うのは、指導者の逃げなんだよ。俺は好かん」

「そんなもんですか」

「でもねえ、夢が見たくなるんだよ。才能がある選手に。150キロを投げるサウスポーとか、遠くまでボールを飛ばす強打者とか。こいつを使おう、育てよう、ひいきしようと思う。でも結局は、伸びるのも頑張っているのも、野球が上手い選手なんだよな

そのとき私は「ようしゃべるオッサンだな」と思いました。

でもこうして、十何年もたって憶えてるってことは、印象に残ってるってことなんだと思います。

「ポテンシャル」という言葉に逃げてないか

んー。私もここ数年、採用に携わることがたまにあり、そのたびにこの言葉を思い出します。

別に新卒の学生に対し、ハイスキルな人を求めるとかそういうこと言ってんじゃないですよ。そんなことをいえば私も大学を卒業した時点でノースキルでした。

ただ思うんです。20代の人に甘くないかと。「若いから」「若いのに頑張ってる」というところで加点してあげてないかと。

それは結局、採点する側が単に目を曇らせてるだけじゃないかと。

そうして若い人の能力を正当に評価しないことでどっか、登用責任をぼやかしてないかと。

そしてまた、若い人が「自分のポテンシャル」とやらに甘える土壌を作ってないかと。

年齢によって差別してないかと。自分自身を「ポテンシャルがあるから」と甘やかしている部分はないかと。

評価基準は、アウトプットがいいか悪いかだけ。それだけでいいんじゃないですかね、やっぱり。

もちろん、若者を育てることは大事ですよ。入社したばかりの人に適切なリソースを割いて育てるのは当然です。

ただそれとは別の話で「ポテンシャル」とかいう便利な言葉に逃げずに人を見る、自分を見ることは大事なのかなと思います。

以上、よろしくお願いします。