俺の夢、ドズルさんの夢 ―「他人の気持ちがわかる」から「優しい」とは限らないね

お疲れ様です、pontaです。

昨日、会社のメンバーと各自の「夢」について語る機会がありました。

ドズルさんは「才能と情熱のある若者が、古臭くてつまらない、不合理なルールによって絶望するのを何度も目にしてきたから、そういう人たち
が力を発揮できる舞台を用意したい」という夢があるそうです。これ書いてよかったのかな。書いちゃうよ。

その実現にYouTubeというプラットフォームは最適ですよね。とんでもないスキルがあるけれど無名な人が好きなことで生きていくうえで、YouTubeはすごくいいツールだと思います。

イケてる人が、イケてるままに生きられる世の中を目指す。素晴らしい夢だと思います。これは彼の人生で体験したいろいろなことが影響しています。
それはまた別の機会に。

いっぽう私の夢を言語化すると、「日本中の人が、自分の関わったもので笑ったり泣いたり、絶望したり勇気がわいたり、『おもしれえ!』のスイッチを揺り動かしたい」というものです。

これは文章に限ったことではないですよ。私が書いたシナリオであれば、別に動画でもドラマでもなんでもいいんですよね。TwitterでもYoutubeでもブログでもテレビでもラジオでも。

どの媒体でもいいんですが、自分の関わった作品にて、なるべく多くの人の感情や行動が変われば、たまらなくうれしいです。

この夢は、「他人の顔色をうかがう」という自分の性格に由来するものが大きそうです。

私は基本的に小心者です。他人に気を遣って、配慮して、みんなが気持ちよく、楽しく過ごせればハッピー。そういう凡俗な面が多分にあります。

いっぽうで、他人の気持ちを全力で逆なでして、グチャグチャに燃え上がって、名を挙げる人、恥をかく人、全員のエゴと欲望がむき出しになって、結果、みんなが時間を忘れるくらいのエンターテインメントが成立すれば最高だぜー!栄光と恥辱は表裏一体だからな!大衆もそれを見たいんだろ?HAHAHAHAHAHAH!みたいな嫌らしい部分もあります。

これは一見、全く別ものにみえて、根っこは同じなんですよね。

なんていうかな。コントロールのいいピッチャーって、相手の一番打ちやすいところに球が投げれるじゃないすか。
でも同じように、絶好球からボールひとつぶん高い、相手の一番投げてほしくないところにも投げれるじゃないですか。

そんな感じです。

他人の顔色をうかがって生きてきたから、人の気持ちがわかる。そして人の気持ちがわかるから、それを大切にすることも、振り回すこともできるのかなと思います。

よく、大人が「他人の気持ちがわかる子になりなさい」って言いますけど、あれはちょっと言葉足らずですよね。

私が思うに、いじめっ子っていうのはたぶん、「他人の気持ちがよくわかる子」だと思います。他人の気持ちがわかるから、いじめられっ子のいやがることを的確にできるんじゃないでしょうか。知らんけど。

こんな私は子供のころ、父親と母親の仲がよくなくて家庭が緊張状態で、そんな中でヒヤヒヤしながら生きていたので、自然、「他人の顔色をうかがう」性格になったものだと思われます。

この性格のおかげで、どこか突き抜けられないというか、周囲の人の満足度のためにブレーキをかけちゃうことがよくあるんですよね。

でも、リミッターが外れて、「もうどうでもいいや面白ければ」ってなったときに、ものすごく燃えたり叱られたりもしますけれども、視聴者や出演者の「ツボ」をついた、しびれるくらいの仕事ができたりもします。

ただ、去年、ドズル社に入ってからいい感じにサイドブレーキをかけていて、言いすぎないように、やりすぎないようにしてきました。押しちゃいけないスイッチがあったら押さない生き方をしてきました。

これは会社の名誉(ドズルさん)のためでもあるんですけど、リアルとネットが直結した世界に生きているので、自分の保身のためでもあります。いやー嫌われたらやりづらいし。

イベント企画でもまだまだ全力で「面白い」に舵を切り切れず、「ブレーキを外しましょう!」とドズルさんに言われて悩んでいます。

(その点、クラクラのVERSUSの、「プロレスの向こうに人間の生のエゴが見える感じ」が私はすごく好きで、あそこまで行きたいなあと思いつつ出演者は嫌がるだろうなあとか遠慮したりなんだり)

そんな毎日ではありますが、ヌルい議論や、毒舌気取りのうっすい文章、面白味を極めてないイベントを見ると、「明日、もう一度来て下さい、本当の毒ってやつを見せてやりますよ」と俺の中の山岡さんの血が騒ぐときもあります。

現在、いっぱいいっぱいで頑張ってる部分もある反面、私の中のその山岡さんは惰眠をむさぼっているのです。

以上、よろしくお願いします。