小学校の時、必死で作り上げた工作を先生に「もっと頑張れ」と言われ、手抜きした作文を「よく頑張ったな」と褒められたことがある
得意、不得意がはっきりしている
お疲れ様です、pontaです。
得意なことと不得意なことがくっきり分かれているタイプです。
とはいえ、不得意なこともそれなりにはできます。ゆうて真面目なので。
でも、努力が必要です。それはもう、歯を食いしばるような努力。やってやれないことはない。
けれど、ものすごく時間をかける必要がある。
それだけ頑張ってなお、及第点なんですよね。「うーん、まあ、こんなものか」みたいな。まあ仕方ない。それが私の能力なんでしょうな。
いっぽうで、得意なことはさっとやれます。さっとやってなお、出来上がりは輝いていたりします。
そういうこと、みなさんもあったりするでしょう。
小学校のころのこと
小学校時代。夏休みの宿題で「作文」と「図画工作」の宿題がありました。
私は昔から作文が得意で、手先がぶきっちょなので図工が苦手でした。
なので作文の宿題はいつも5分くらいでさっと書くことができ、図工は苦戦しまくっていました。
ちなみに私が小学校3年生のときに編み出していた作文のコツはこれです。
・先生は子どもの作文をたくさん読んで退屈する。だから目を覚まさせ、目立つように最初の一行目からパンチを利かすこと。「私はお父さんが大嫌いです」とか「学校に行きたくない」のような。発想としてはサムネ詐欺みたいなやつですね。
・読み手に合わせ「頑張っているお父さん」とか「大人ってすごい」みたいな読み手が気持ちよくなる美しいセンテンスを入れること。最初は毒でスタートしても、とくに最後は美しく終わるべき。(ただここは嘘を書くと寒いので、心の中に眠る美しいものを引っ張り出すこと)
・情景描写、体験談を入れること。体験談は、他人と差別化する最強の道具。
この3つさえ押さえれば、ほとんどの賞は取れました。っていうかこれ面接と同じですね…。
それである年の夏休み、小5くらいだったか、1時間で何個作文が書けるかなと思って、課題作文を3つ書きました。
ひとつあたり20分ですね。
それが終わったのち、残る宿題。牛乳箱を使った工作に取り掛かりました。
これがまあ、時間のかかることかかること。
一週間くらい、作っては壊し、作っては壊しを繰り返しました。
使った時間は累計30時間は越してたんじゃないですかね。
それで夏休み明け。
ランドセル置き場の上には、ひときわ悪目立ちする、ズタボロの私の牛乳箱ロボットが…。
それを見た先生は「ギリギリで取り掛かったのかな?もっと早くから頑張ろうな」と言いましたとさ。
いっぽう作文のほうは、3つともメーカー賞とか県の賞とかを獲ったりして、「よく頑張ったな」と言われたりしました。
なんなんすかね。
個人的に「頑張った」のは牛乳箱ロボットの方なんですよ。俺の血と汗と涙が染みついているのはこっちです。
かたや、作文のほうは半ば「手抜き」です。大人の喜ぶ必勝メソッドに沿って、パパっと書いただけです。
それがなんか、ものすごい努力家みたいに褒められる。
人はもう、結果しか見ないんですよ。哀しいことに。
そしてそれは正しいことだと思っています。
不得意分野で、歯を食いしばって気合を入れることにあまり意味はない
だから、「頑張る」とか「気合で何とかする」「歯を食いしばって耐える」というのは本当にイケてなくて、「向いている人が向いていることを楽しみながらやる」というのが、世界のアウトプットの質の総量が上がる一番いいやり方なのかなと思っています。
そもそも、作文のほうは努力してないかっていうと、本を読む量、言語化の量がおそらく普段から蓄積されていたので、20分に見えて実はその後ろに膨大なトレーニングの時間があったわけで。
そこを含めて「頑張った」と言えなくもないですね。
いっぽうの牛乳箱ロボットは、カッターを使ったーのは1年に一度あるかないかといったレベルだったわけで、そういう意味で「頑張ってない」わけですよね。
これはデザイン料とか、編集料とか、イラストの代金とか、技術の対価の話にも通じるかもしれません。
その絵を描くのはちゃちゃっと5分。でもそこに至るまでに膨大なお金と時間を投資しているからイラスト料とかは高くあるべきなんですよね。
まあなんだ。人は結果しか見ないんだから、「頑張れ」というのを「愚直に取り組め」と捉えずに、「得意な分野で戦え」というふうに転換すれば、ウツとか失敗とかそういうのも少なくなるんじゃないかと思うんですよね。
以上、よろしくお願いします。
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