「毎日更新」とかいう十字架を頼まれてもいないのに抱えて生きることの意味

「毎日更新」とかいう十字架を頼まれてもいないのに抱えて生きることの意味

ついにGoogle先生がゲリブロを知ってくれた件

お疲れ様です、pontaです。

低気圧の影響か、頭が痛いです。でもブログは書いてから帰ります。それが俺のジャスティス。

でもこうしてブログを毎日書いているおかげか、ついに先日、google先生にこのゲリブロ、認識してもらいました。やったぜベイビー。

ブログは最初の1年間は毎日投稿してなんぼと思っているので、そこに至るまでは休まず更新し続けたいと思っています。

毎日更新はそんなに大変ですか

そういえば最近、ブロガーの卵、YouTuberの卵に会うことが多いんですが、みなきまって「毎日更新する自信がなくて」とおっしゃいます。

どうなんでしょうね。仕事じゃないんだから、まあ別に休んでもいいんですけど、そんなときはドズニキの「歯みがきをするのに面倒くさいと思う人がいないように、動画のアップも歯みがきと同じにすればいいんです」という名言を送ります。

つまり「習慣づけすればヘーキヘーキ」ってことです。

逆に言うと、一度立ち止まってしまうと、更新の習慣が途切れてどんどんおっくうになるので、軽くでいいので発信はし続けるべきだと思います。

無理にひねり出したものは面白いのか問題

「とはいえ無理くりアウトプットしたものなんて面白くないだろう」と身構える人もいるんですよね。

「私が世に出すのは最高傑作だけだ」っていう人もいたりして。

とくに、ヒット動画をアップしたり、名作エントリーを書いたあとほど、そうやって自分で自分のハードルを高くしちゃう傾向があります。

ただこれは私の信条なんですが「ダルビッシュのキャッチボールは、私の全力投球より速い」というものがあって。

Willyさんが「あー今日の絵へたくそ」って書いた落書きも、連邦のきーるさんが適当に訳した文章も、わたしが1年かけてやるより、質が高いのは間違いないです。

クリエイターのアウトプットなんて良くも悪くも、基礎能力を超えられないんだから、とにかく量をこなすべきというのが私の信条で。

量産の意味はない?

エンターテインメント系のクリエイエターは、量産大事。

視聴者に毎日作品を見てもらう習慣をつけてもらうとか、自分の人柄に親しみを持ってもらうとか、そして何より修練のために、量は大事。

とにかく毎日100キロで投げ続けているうちに、翌月には105キロが投げられるようになっています。

「お勉強」なんていらないです。とにかく毎日作り続けること。実戦に勝る訓練はなし、です。

とはいえ、量産がインターネットの勝ちパターンだった時代は終わりました。
ビジネスサイトとかはとくにゴミみたいなコンテンツを量産しても意味ないです。むしろSEO、下がるんじゃないか疑惑すらあります。

昔、Googleで検索順位を上げるためには「テーマを絞って、とにかく更新する」が大事でしたけど、最近のブログは(というか検索サイトは)量より質重視になっていますので、別に量産したからといってSEO的に有利になるわけではないんです。

とはいえ産み出す人ならば

とはいえ、「産み出す人」が量産できなくてどうすんだよとは思うんですよね。

そしてこういう文章に影響を受けて「よし俺も量産しよう」とか思っちゃっても、それは逆にクリエイターに向いてないと思います。

本物のクリエイターはモチベなんて言葉とは無縁で、頭の中のものを出さないと死ぬし、笑えないアクシデントがあったとしてもそれを自分の作品にどうやって活かすかをまず考えているモンスターです。

息を吐くようにアウトプットと反省を繰り返し、常に高みに上り続けています。

そういう人にはなれずとも、せめてその影は追いかけろ俺、といったふうに毎日、思って更新しております。

ネタがない?大丈夫大丈夫。今日の俺もぜんぜんネタがなかったけど、書いたら一応、このエントリーになったから。

以上、よろしくお願いします。