「クラクラ盛り上げ」についての素案—「クラクラきつい」って俺が言うと叱られるけど、逆に「クラクラを盛り上げる」っていうとみんな逃げ腰になるのはなぜなんだぜ

引くと押す、押すと引かれるクラクラよ

お疲れ様です、pontaです。

今日、クラロワ界隈マンガでおなじみのkatu(@クラクラチャンネル)さんが、株式会社ドズルに遊びにきました。

そのときちょうどクラクラ関係の仕事をしていたワイ、「クラクラを盛り上げるためにどうしたらいいのか考えてるんだ」と言ったところ、「えー…クラクラ盛り上げるの難しくないですか」とまゆをひそめられました。


なんでやねん。

お前Twitterでクラクラ盛り上げたいゆうとったやないか。

わいがちょーっと「クラクラは盛り上げるの、難しいよね」っていうと「面白いゲームだよ!」「盛り上がらないとか言うな!」「影響力を考えろ!」ってがっつり叱られるんですが、いざ「クラクラ盛り上げようか」と水を向けると「クラクラの動画はきつい」とか「見せるのに適してないよね」って逃げ腰になるのはなぜなんだい。

どいつもこいつも、天邪鬼か!!!

わかるけれども。

引くと押す、押すと引かれる繰り返し。

8月からこっち、5人目よ。

んー。ひさしぶりにクラクラについて思考リソースを割いたのでこちらで開陳。

いまのクラクラを盛り上げるのにはいくつかポイントがあると思っていて。確証はないんですけど、仮説ですよ。仮説。下記。

「対戦形式」「上手い」を破棄したコンテンツ

クラクラは対戦システムが神がかっているので、それでコンテンツを作りたい気持ちはよくわかる。
でもそのやりかたって、5年たち、飽和してしまっているんですよ。だから対戦に目新しさがなく、視聴への動機につながりにくい。

また、プレイヤー全体のレベルが上がりすぎて、超絶プレイヤーの価値が落ちてしまっている現状、「上手い」では人は見ない。

むしろ思い切って、「ファーミング」なり、「下手(失敗)」に寄ったコンテンツがいまはフィットするんじゃないかなと。

全壊じゃなくミスしたほうが面白い、という建付けがいいんじゃないかなあ。

上手い人を軽視しているわけじゃないよ。むしろ「下手」があってこそ「上手い」が輝くんです。

ぶっちゃけ、「絶対的に上手い変態エース」ばかりだと変態がデフォルトになるからつまんないすよねー。

「情報の伝達」がクラクラの魅力

クラクラの面白さは、実は「全壊できなかった村を、他人が上書きしてくれること」にあるんですよ。タスキリレーっていうか。VERSUSが成功したからみんな誤解してるんですよ。クラクラの一回攻めは、実は面白さを殺しているんです。よほどうまく見せないと「失敗したねー」「成功だね――」だけになってしまう。

復帰キャンペーン

新規、新規というけれど、クラクラの新規は増えないって。鉱脈はむしろ「昔クラクラをやっていたけれど、いまは辞めてしまった人たち」。

その人たちを呼び寄せ、視聴してくれたらいいことがあるぞ、という建付けがいいんじゃないかな。

ターゲットにし、掘り起こすべきは「コアに呼び戻してもらう再帰ユーザー」かなと。

今のクラクラは楽しいぞ!という世界観。

顔出しスターの育成

日常動画の実写(顔出し)でYouTuberに親しんでもらうことが地味に大事なんですよね。毎日の動画で人柄をきちんと伝えることが、たとえばオフイベントでも「あの有名人に会えた!!」という喜びに繋がります。

まとめ

これらはすべて、「世界大会」や「WPL」とは真逆の方向性で、じゃああちらを否定してるかっていうとそうじゃないんですよね。あっちはあっちで絶対に必要。

なんていうかバラエティよりの生放送をきちんと面白く仕上げて、演者の顔やキャラクターに親しんでもらって、そのあと、「世界大会」や「WPL」といったeスポーツに集約していくのが、クラクラの盛り上がりには筋がいいんじゃないのかなと思っていて。

前〇と〇入のどちらも大事じゃないすか。

「あの俺たちの〇〇(配信者)が世界大会に!」という世界観。

「競技性(まじめ)」と「バラエティ(日常)」って実は両輪なんですよね。とくに、クラクラに限るとね。

この企画が通るといいなあ!

以上、よろしくお願いします。