人生に「学歴」は必要か―ただの飾り?一生使えるパスポート?

2018年8月20日

人生に「学歴」は必要か―ただの飾り?一生使えるパスポート?

学歴について

お疲れ様です、pontaです。

Twitterで学歴の話が出ていたので。元ネタとは関係なく自分の考えを書いてみようと思います。

「学歴が高くても仕事ができるかどうかとは関係ない」という風潮

さて、こうした学歴論が出てくると必ず湧き上がってくるのが「学校のお勉強と、社会に出てから使えるか、使えないかは全く関係ない」というのものです。

一般的に「仕事ができる人」というのは、気が利いたり、コミュニケーション能力が高かったり、手を動かすのが早かったり、行動力のある人のことを指すことが多いです。

そして、それらのスキルは勉強では培われないものです。下手したら、遊んでばっかりいるチャラ男のほうが、要領の悪い秀才より営業成績が良かったりする。
なので「学歴≠仕事の能力」といいたくなる気持ちもわかります。

じゃあ学歴とは何かというと、「最低限の記憶力と計算力、国語力、英語力の証明」「一番遊びたい盛りにやることをやれる忍耐力」「教育にきちんと時間とお金を費やしてくれる家庭を持っている証明(一般常識を備えている確率の高さ)」なんですよね。

個人個人の能力では別ですよ。ただ集団として見た場合、「賢い大学の学生」のほうが「偏差値の低い大学の学生」より計算が得意で、我慢強くて、常識のある可能性が高い。

なので企業は「賢い大学」を優遇してリクルートするのです。

さらにそれが一流企業ほど、新卒募集にたくさんのエントリーがあつまるので「旧帝筑波早慶以上」といった足切りをするしかないんです。

採用担当者が1万人のエントリーシートに目を通すだけですごいコストがかかってしまう。それを効率的にカットする手段。学生側から見てみたら、給料の高い、大きな仕事ができる大企業への黄金パスポート。それが学歴なんです。

このパスポートを手に入れるのは10代だけの特権で、たった数年勉強するだけで、22歳から数十年の生涯賃金がハネ上がるわけで、かなり効率のいい資格ですよね。

いやもちろん、学歴はなくとも記憶力に優れ、忍耐力があり、一般常識を持った人はたくさんいますよ。

ただそれを企業側に探す手間がないというだけの話です。

つまり学歴とは20台前半の、まだ何者でもない平凡な若者たちを効率的に判別するためのラベリングなのです。

学歴がなくても、能力さえあれば頭角は現す

もちろん、企業側もバカではありません。こうした学歴フィルターによって取りこぼしてしまう優秀な人材がたくさんいることも良く知っています。

なのでそういった人たちは中途採用だったり、ヘッドハンティングを使って拾い上げます。

例えば二流大学を出たあと、編集プロダクションに転がり込み、仕事ができると評判の立った編集者は一流出版社に引き抜かれます。

また専門学校出でも、「イケてるね」という評判が業界にたてば一流ゲームメーカーのプロジェクトリーダーに据えられたりもします。

優秀な人は、どこにいても頭角を現すんですよね。

ただ、そういうおいしい転職ができるのにも学歴は有用なんですよねこれがまた。

たとえば図書館司書などは非常に狭き門ですが、どこかの図書館でぽっと人がやめたとき、●応大学のコミュニティー内でまず「いい人いない?」という情報がまわり、推挙されます。

大学の研究室も同じ。東大京大の研究室にしかリクルーターを派遣しない企業とかもたくさんあります。固い仕事の仕事をしたかったら、いい大学がやっぱり有利ですね。

学歴が関係ない仕事もたくさんある

じゃあ日本は学歴社会かといったら、当然それだけではないんですよね。

新卒の時はあれだけ学歴を見た企業たちが20代後半からは、実績を中心にみるようになってきます。

さらに35歳を過ぎれば誰も学歴なんてみません。それまでに見るべきキャリアを残していないような人材は、たとえ学歴があってもいらないと判断されてしまうのです。それはそれできっつー。

経営者や技術職、現場仕事も同様。学歴なんて関係ありません。YouTuberも同じかな。結果や数字がすべて。

やりたいことがしっかりあって、その目的と大学がフィットしない場合、進学のメリットはあまりないんですよね。

プロスポーツ選手や将棋の選手、プロゲーマーなど、単純に技術を極める職業の場合、進学は時間のロスになってしまうこともあり得ます。

ただ引退後は、学歴があると「地頭の証明書」として潰しが効きやすくなる面はあるかなと思います。

学歴も結婚もしょせん、紙っぺら一枚

極論、学歴なんて、しょせん紙っぺら一枚です。結婚と同じです。その人を見るときの単なるレッテルにしか過ぎません。

結婚だって、「冷めてる夫婦はたくさんいる」とか「結婚なんてしていなくても、愛し合っている恋人はいる」とか例外的なことを言われたら「それはその通り」というしかありません。

ただそれはそうなんだけど、実際問題として「結婚した当初は愛し合っていた証明」になるわけですよね。

そして、社会的信用が得られたり各種の制度の優遇を受けられるわけですよね。

学歴もそうで、人間の本質とか、まれにいる仕事の苦手な秀才とか。そういう難しいことは置いておいて、実際問題として「日本社会を渡っていくうえで、便利ですよ」としか言えない。

そういった現実をしっかり若者に教えたうえで「とはいえ、夢を追うんだったら応援するよ。邪魔はしない」というのが大人のあるべき立場かなと。

若者のやりたいことをやらせないのも、かといって現実を教えないのも不誠実だと思います。

大学教育の意味

最後になりますが大学教育に意味があるかないかでいえば、個人的にはめっちゃあると思います。

一番大事なのは「一次資料の信頼度を確認して、科学的根拠に基づいてから判断する」ということですかね。

わかりやすくいうと「デマに騙されない」というものです。

教育を受ける機会がなかった人は「自分の目で見たもの」「信頼する人の話したこと」を信じすぎる傾向にあります。(頭がいい人ほどそうです)

例えば「水素水で儲けよう」という話を友達に持ち掛けられたとき、理系だったら「それのエビデンスは?」と思うし、文系なら「これ、歴史上似たような話があったかな」とか思って多角的にツッコミを入れたあげく「うさんくせえ」という結論に至ると思うんですよね。

教育にはそういう、自分で批評する力、生きぬくための判断力を養う効果があります。

学歴なんて、なくっても

最後になりますが、学歴と一口でいっても、中高で優秀な成績をおさめながら家庭の都合で進学できなかった人もたくさんいることは付記しておきます。

勉強は苦手でも、たくさんの優れた才能を持った人もたくさんいます。

学歴は現実的に大事ではありますが、かといってそれがすべてではないので。大事なのは何をやりたいか、何をやっていくかです。

人生というゲームの攻略において、学歴はチート級の非常に優秀なギアとなりえますが、かといってなければないなりの戦い方はある。

ギアの性能を理解したうえで、使う使わないは本人次第。それを使わずにクリアする方法もいっぱいあるぞと。そんなとこかなと思います。

いたずらに軽視もせず、かといってそれがないからといって自分を貶めず。

学歴は実に便利なツールとはいえ、幸福の尺度や、20代後半からの評価指標とは全く別物ですよと

ちなみにチームドズルは学歴不問です。

以上よろしくお願いします。

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Posted by ponta