「吉本興業が宮迫博之らを謹慎処分」について—炎上の燃料になるのは「もともとお前が嫌いだった」というヘイトゲージの貯まり具合ではないかと思う件

吉本の芸人さんが闇営業で謹慎されたとのこと

お疲れ様です、pontaです。

吉本の芸人さんが、詐欺グループに対する闇営業により謹慎を余儀なくされたようです。当初、「彼らからギャラはもらっていない」と言ったもののそれが嘘だったことが致命傷でした。


「吉本興業が宮迫博之ら11人を謹慎処分 詐欺グループ会合参加で金銭授受認める」

どうなんでしょう。私は本件にそれほど関心はなく、「闇営業でもらったギャラは脱税しやすそうだな」とか、「給与明細に書かれないから奥さんにバレずに使えるお金で、愛人がいる人は重宝したろうな」くらいにしか思いません。

それよりむしろ、宮迫氏に対しては、恐妻家キャラを売りにしながら、そしてガンを奥様に看病してもらいながら、完治後に浮気しまくったってのが印象が悪いです。

奥様に「暴君キャラ」を押し付けながら、実際のところ暴君は自分じゃねーかっていう。欺瞞性(うそつきっぷり)がすごい。

宮迫氏はしゃべりのセンスはもちろんのこと、歌がうまく、イケメンで演技もできるという才能の塊のような人ではありますが、前述の部分が尾を引いて、どうも裏表がある人に見えちゃいますね。

なのでふだん、テレビで見るぶんにはいいんですが、こうした事件があったときに「実は保身のために嘘ついてました。お金をもらっていました」と言われれば、「ああやっぱり」と思うのも正直なところです。

処分については社会と会社の良きように。それはどうでもいい。

ただ個人的には「宮迫氏は才能豊かながら、欺瞞の人」という印象がより強くなったといったところであります。

燃えたあとの燃え方は、普段の人望とイメージ次第なところもある

そしてこうした事件があったときに、「社会が許すか許さないか」というのは、事件の重大性よりむしろ「ふだんの人望」で判断されてしまうことが往々にしてあります。

たとえばタモさんとか好感度の高い人であれば、今回のような事件を起こしても「まあタモさんだし、あのノリでやっちゃったんでしょう」と理解を示す人も出てきそうです。

そして、まわりの芸能人やスタッフたちも彼を守るために全力を尽くすでしょう(それが良い悪いは別にして)。

いっぽう、「もともと何となく嫌いだった」という人が着火したときは、そもそもの好感度やイメージをよりどころにした私刑の様相を呈します。

宮迫氏も、前述の不倫で、テレビ視聴者層のコアたる既婚女性がたのイメージが失墜しており、そのために「処分が重すぎる」という声が乏しくなった面もあるのではないでしょうか。yahooニュースのコメント欄も、鬼女がたによる執拗なアレにアレされております。

それがいい悪いはともかくとして「燃え広がる」というのはそういうことなんだと思います。

これはネット上の「炎上」についても同じことで、その事件の本質からかけ離れた、「そもそもあいつが気に入らなかった」とか「なんか偉そうだった」みたいな好き嫌いの領域で炎の高さが決まります。

正義感で叩く人、社会のために声をあげる人も、実は根っこの部分で論理ではなく「嫌い」が先行しているんだと思います。人間だから。

これは私が叩くときも叩かれるときもたぶん、そういう部分はきっと、あるんだと思います。人間だから。

ロジックよりむしろ大事なのはヘイトゲージのたまり具合というね。しかも叩く人も、自分がヘイトで叩いていることに無自覚だという。

不徳の輩を不徳の連中が叩く地獄絵図。これが現代日本なのであります。

炎上の「着火」はじつは、立ち位置しだい

で、炎上の「燃え広がり方」は人望で決まると申し上げましたが、じゃあ「着火」はなにで起きるかというと、「立ち位置」だと思うんですよね。

宮迫氏も有名芸能人だから着火したわけで、これがもっと普通の人であれば「闇営業」ではなく「営業」になったわけで、社会責任もなくみんなから怒られることはなかったと思います。

今日の朝日新聞でいい例が載っていました。ロフトのバレンタインの燃えた広告です。




「女性は表面的に仲が良くても裏ではいがみあっている」という「あるあるネタ」で、これがたとえばSNSで気の利いた個人の女性絵師が描いたなら「センスがいい」とバズっていたかもしれません。

しかしこれを出したのは、企業です。大企業です。

大企業が、自分ではなく、顧客の女性に対して差別的な固定観念を押し付けたわけです。自分が自分で言うのはいいけれど、他人に言われるとむっとする。

要は「おまえが言うな」ということではないでしょうか。

炎上とは正論を看板にした、感情の吹き上がりではないか

「炎上」の構図は基本的に、「批判を浴びるようなことを言った人が叩かれる」といったものですが、その燃え方、燃え広がり方は本質やロジックから外れた感情がかなり左右している気がするんですよね。

つまり正しい、正しくないを超えた、感情的なものがよかれあしかれ、非常に強いんじゃないかと思うわけです。

つまり炎上の着火点は「立ち位置次第」であり、炎上の燃え広がり方は「日ごろの人望次第」といった要素がかなり強いんではないかと思います。

そんな中、食べ物を粗末にしたり、貯水タンクで泳いでしまって、立ち位置無用で炎上するようなストロングスタイルの人もいるわけですが、それはまた別の話。

繰り返しますが、良い悪いではなく、炎上の中にはそういう心理が「薪」として重要なんだろうなと思っております。

以上、よろしくお願いします。

議論炎上

Posted by ponta