「学歴がなくても金を稼ぐ人はいる」→「だからお勉強は意味がない」というのは論理の飛躍だと思うんだよね:「お勉強は意味がない」のは本当か

「お勉強は意味がない」のは本当か

お疲れ様です、pontaです。

ドズニキ社長は採用の際によく、「勉強ができるできないじゃなくて、地頭のいい人がいい」というんですが、まあ同感です。

過度な学歴信仰は愚かですし、弊社のような特殊な業態で人材に対して見るべきは個性であるかららして、重視すべきは地頭、というのはそのとおりだなと。

ただ一方で、TwitterにてFF外の勉強嫌いなひとが「学校のお勉強だけできても意味がない」と同じことを言っているのを見かけて、「お…おう」となりました。

ドズル(偏差値81)「学校のお勉強だけできても意味がない」 

???(偏差値30)「学校のお勉強だけできても意味がない」

同じセリフの説得力で、すでに大きな差が生まれてるんですがそれは。

勉強でもなんでも、「意味がない」ってセリフはそれができる人が言うからカッコいいんであって、できない人が言っても負け惜しみになっちゃうのが辛いとことろですね。(ってミラティブのまおさんが言っていた。もっと柔らかい表現で)

意味、ないのかなあ。勉強。

いやもちろん「勉強さえできればあとはどうでもいい」という考え方はイケてないですけど、それと同時に、知識という武器を得るための行為を「お勉強」と見下す反知性の姿勢もどうかなと思うんですよね。

「お勉強が苦手だって稼ぐ人はいる」のはその通りだけどさ

で、こういうことをつぶやくと決まって「偏差値30でも年収1000万稼ぐ人はいる」と言われるんですよね。

「学歴がなくても金を稼ぐ人はいる」→「お金を稼ぐ力と学歴は別」→「だから勉強は意味がない」という論理の飛躍。

まあ確かに、サラリーマンだと学歴と収入は比例しますが起業家とかだと学歴はさほど関係ありません。

生まれつき頭の回転が早く、勇気の優れた人で、起業してお金持ちの社長さんになっている学歴のない人はたくさんおります。

でも、そういうもともと優れた資質を持った人がお勉強してたら、会社をさらに大きくしてたと思うんですよねえ。

「小功は才にあり。大成は学にあり」っていうじゃないすか。

これの意味は、「少し成功するには生まれつきの才能さえあればよいが、大成功するには学問が必要だ」っていう中国の名言です、と見せかけて、いま私がとっさに作ったそれっぽい言葉です。

こういうのを見たときとっさに「嘘つき!」って言えるか、「なるほどねえ」って思っちゃうかの違いはありますよね、学問のあるなしで。

無学で稼ぐ人は勉強したらもっと稼げるのでは

ここで思い出すのは、中島敦の「弟子」という小説。

無学な子路という主人公が、勉強家の孔子をやりこめるためにやってきて「勉強なんて意味がない」とケチをつけます。


子路いわく「あの山の竹は加工しなくてもまっすぐで、切るだけで固い革を突き通すという。となれば、天性優れた人は勉強なんて必要ないじゃないか」と。

孔子は答えていわく、「その鋭い竹に矢の羽をつけ、矢じりをつけたら、ただ固い革を突き通すだけでは済まないだろうに(天性優れた人が勉強したら、もっとすごいことになるだろう)」と。

そんな感じじゃないですかね。

国語は同僚や取引先とコミュニケーションを取ったり、契約書や法律といった書類を読むのに必要。

数学は思考法のメソッドに利用したり、お金の計算に必要。

英語ができれば海外の情報や商品を安く仕入れたり、高く売ったりできます。

社会はビジネスのヒントに溢れていますし、理科ができれば批判的な思考法が身に付き、クソみたいな詐欺師に騙されにくくなります。

もちろんこれらの能力はなくてもビジネスの世界でじゅうぶん以上に戦えます。お金を出して、税理士、通訳、ブレーンを雇えばいい話です。

でもそれらの人を選ぶのも使いこなすのも基礎学力は必要であるからして、お勉強はできるに越したことはないと思うんですよね…。

家庭の事情で学ぶ機会のなかったひとこそポテンシャルの塊だと思うよ

もちろん、家庭の事情で幼少時、勉強が思うようにできなかった人もたくさんおりますです。金銭的に大学へ行けなかった人も多々いるでしょう。高校時代は適当にやって、18歳をすぎてから勉強の大事さに気づいたひともいることでしょう。

そんな人は、自分のことをポテンシャルの塊だと図に乗って、騙されたと思って本の100冊でも読んでください。

おそらくは、その「お勉強」が、地頭の優れたひとならばなおさら、その人を飛躍させる武器として身を助けてくれるのかなと思います。

以上、よろしくお願いします。