「AIのせいでお前の仕事はなくなる!消える!」的な脅迫に騙される必要はないんじゃないっすかね―営業、動画、文章ほか、もろもろの仕事の未来について

クラロワファンの少年に会った

お疲れ様です、pontaです。

先日、表参道のマックで仕事をしていたときのこと。

入学式が終わったばかりであろう、小学生(6年生か5年生)の集団が店に入るやいなや、私のPCを指さし、「クラロワじゃーん!」と叫びました。ちなみに寺田心くんじゃないです。

私のPCのシールは、クラロワだけではなくクラクラも兼ねているんですがそれはともかく。

なんだか嬉しくなった私は、カバンに常備しているクラロワシールを彼らに渡しました。ホグと、アーチャー。

「アーチャーじゃなくてマスケット使ってる!」と、なかなかの通ぶりを発揮。ごめんな、マスケじゃなくて。いやみか。

とはいえ「シール、筆箱に貼る!」と大喜び。

私は「叱られない?先生に」といちばん食いついてくる少年に、聞く。

「大丈夫だよ!」と彼は笑顔。

「どのキャラ使ってるの?みんな」

「あーラヴァが今、流行ってる!」

彼はYouTuberの中ではとりわけきおきおさんが好きらしく、きおきおーです!のモノマネも披露してくれて、エモみが深い。

この少年たちが大きくなるころには、きおきお君はどうなっていて、何が流行っているんでしょうね。

そして、わたしたちは何をしているんでしょうね。

スマホで動画が編集できるようになると、弊社はつぶれちゃう?

そんな弊社。YouTubeやゲームがビジネスの中心で、「イマドキの企業!」感を出していますが、30代、40代の人も割と多い。

気が付くと「流行に疎くなっている」ことも起こりうるのが怖いですね。

時代の革命児たるドズル社長も、ケンカ大好きpontaさんも、油断をすると古く、丸くなっていく。

新世代の子どもたちが目新しいアプリにてキレキレの動画を作っている横で、わたしたちが旧インターフェースにしがみつく集団になっていないかというのは、常に気をつけるべきことですよね。

そしてものの本によれば将来的には恐ろしいことに、動画編集や画像加工はスマホで完結する時代になっているとのことです。

ええ!?ってことは、弊社のウリになっている動画編集や画像加工は誰でもできるものになっていくんでしょうか。

アカン!弊社、赤字になってまう!?

こういう、自分の今やっていることが無駄になる、スキルが陳腐化するというのは、それで日々の糧を得ている人たちにとって一番の恐れです。

車が自動運転化されたらタクシー運転手は飢え死にし、ネイルマシーンが発明されたら、ネイルを塗る人は死ぬんですかね。

みなさんもそんな恐れはあるんじゃないでしょうか。

ネットのせいで営業がいなくなるといわれていた

そういえば15年前、雑誌(SPA!だったかな)に「これからはインターネットの普及で営業マンはいらなくなる!」って記事が出ていた記憶があります。

商品はすべてインターネット上のカタログで閲覧可能になり、マンツーマンのセールスはまったくもって滅びると。

当時営業マンだった私はすげーびびった、焦った記憶があります。

じゃあ15年後のいま営業マンはいなくなったかというと、まだいますよね。

ただ仕事の仕方が大きく変わり、訪問ではなくメールやslackでの提案が可能になりました

当時の技術であるところの「納品のために朝早くお客様に伺う」とか「封筒に綺麗な字であて名を書く」とか「酒の注ぎ方に気を遣う」みたいなのは廃れましたが、営業の本質の「情報を伝え、お客様の役に立つ」というのはカタチ変われど残っています。(というか、より重要視されるようになりました)

動画編集も同じですよね。

いまみんながPCで苦労してやっている「画像切り抜き」「テロップ入れ」みたいなことは、スマホで全自動でできるようになるでしょう。

どんな重宝されている職人芸的なスキルだっていつかは「誰でもできる」ものになるのです。

いっぽうで編集者としての本質的なセンスだったり、視聴者との視覚聴覚を使ったコミュニケーションスキルみたいなものは、より求められていくのかなと思います。

つまり、「職人的な編集技術を機械が担うようになることで、その空いた時間をさらに本質的な意味での編集作業に使えるようになる」ってことかなと。

あの少年たちが大人になるころ、世界は、どうなってるんですかね。

ただなんにせよ「AIが人間の仕事を奪う」なんてことはありえないです。

AIや技術は、人間がより人間らしい仕事ができるためのツールだと思っています。

未来の文章のかたち

付け加えると、私は動画の会社に勤める文章書きなので、動画に比較しての文章について考える機械が多いです。

動画は「滞留時間が長い」のがウリです。つまり視聴者は目にする時間が長い。広告効果が抜群です。だからお金が集まってくる。

いっぽうで、文章は「滞留時間が短くて済む」のがウリだと思っています。忙しいときに時間を拘束されず、自分のペースで情報を把握、吸収することに向いている。

言い換えると、動画が視聴者の時間を支配するのが強みなのに対し、文章は逆に視聴者のほうが時間を支配できるのが強みなんだろうなと。書くのも、読むのもね。

あの少年たちが大人になるころ、動画は引き続き世界の表面を覆い続けるでしょう。そしていっぽうで文章は世界の内側を支えるものであり続けるだろうなと確信を強めています。

今日はちょっと煮詰まってない文章で申し訳ない。最近、インプットとアウトプットの頻度と速度を上げまくっていて、粗さが目立ついっぽうでちょっとなんかまたもう一枚、二枚、手札を増やしているような段階です。、

以上、よろしくお願いします。