「ワガママは悪」だと思ってここまできたけど、「最終兵器ワガママ」だということに最近やっと気づいた件

新入社員がまた入ってきたよ

お疲れ様です、pontaです。

弊社に、新入社員(アルバイト)が3人入りました。

・ゲームキャスター

・東大卒のプロ雀士

・国立大学の大学生

個性的。アルバイトと言っても、社員さん候補だったりするので末永いお付き合いになる可能性もあり楽しみです。今後ともよろしく…。

弊社は社長のツイートひとつで、多種多様な人材が無料で集まるのがいいですね、しかも、社長の人柄、社風などはすでに熟知されているため、ミスマッチも起きにくい。

要は「入ってみたけどなんか違う」がないってことです。これは中小企業にはあり得ない、大きな強みだと思っています。

エゴは悪いばかりじゃない

そんな新人のみなさんに私は「君のエゴは?」といきなり聞いて、困らせました。気持ち悪いかよ。

ごめんなさい。俺の最近のバズワードなんです。

その場で言葉に詰まる人がほとんどでしたけれども、エゴはしっかり言語化しておいたほうがいいですよ、マジで。

エゴとはひらたくいうと「ワガママ」です。「その人特有の、根源的な欲求」と定義してもいい。

エゴは別に綺麗なものである必要はなくて、「女の子にキャーキャー言われたい」とか、そういうものも含みます。

ドズルのエゴは、 「才能があるけれどもチャンスに恵まれず絶望している若者が活躍するチャンス(マネタナイズの機会)を与えたい」 というものです。

これも一見、綺麗に聞こえますけど、その裏には、若くして絶望した彼の過去が影響しています。ドロッとした過去へのリベンジ的な面もあるんじゃないでしょうかねー。(他人の重いものを軽々しく扱っていくスタイル)

私のエゴ、 「他人を笑わせ泣かせて、たくさんの人に影響を与えたい」 というのも、突き詰めればナチスドイツの宣伝部長ゲッベルスにもなりえます。

煽りのプロです。綺麗なもんじゃないですよね。

でもエゴは、使い方次第です。うまく使えば、世の中をポジティブに変えることができます。

「女の子にキャーキャー言われたい」というエゴだって、うまく使えば厳しいトレーニングに打ち勝つ力になりえるじゃないですか。それと同じで。

悪いのは、エゴを押し隠して、見ないふりして生きることだと思います。

ワガママを出しちゃいけないと思って生きてきた

近頃、強烈な人にたくさん会います。やりたいことをやりたいようにやって生きている人たち。

別に、彼らは自由業とかじゃないですよ。サラリーマンで、組織の人で、それでも自分のエゴを明確に把握している。それに従って生き、ちゃくちゃくと実績を上げている。

かたや私。そこそこの高校、そこそこの大学に行って、就職をして、結婚して、家族をもって、ぼちぼちの仕事をこなして、まあ、いいトシになりました。

その短くもない期間、「自分は何をしたいか」ではなく「自分は何をすべきか」で優先順位を立てて行動してきました。

というかそもそも、何をしたいか、なんて考えたこともなかったです。

自分のやりたいことに価値があるとは思えなかった。エゴを丸出しにしたら、誰かに怒られるような気がしておりました。

キチンと勉強をすれば親は喜んだ。大学に入ればみんなに祝われた。付き合ったら結婚するものだと思っていた。

その道を選んだのは自分だし、別に後悔はしてないけれども、「それはそういうものだから」とノーシンク、考えなしで道を選んできた。

要は自分の心ではなく、他人の顔色を気にしながら生きてきて、それはまあ、悪い結果にはならなかった。

「ちゃんとしなさい」と私を教え諭した人たちの言う通りだった。

ちゃんとした収入、ちゃんとした家族、ちゃんとした人生。ちゃんと生きてきたと思います。オトナってやつをきちんとやってきました。

でもいい感じにおっさんになってきて、いま初めて「なんでもできるけど、やりたいようにやってみて」と言われて少し戸惑う。

私が前に勤めていたところでは、ネクタイの柄ひとつでたしなめられて、「無個性」や「大人」であることが武器になっていたけれど、今は逆に、「個性」や「エゴ」こそが武器になる。

モテたければモテたいほど、分不相応であればあるほど、ずるければずるいほど、闘争心が豊かであればあるほど、黒ければ黒いほど、そこがフックになって面白く、強くなる。

これは私のいまの仕事の特殊性のせいなんですかね。違うな。

学生時代から私が私のエゴをはっきり把握しておけば、前の会社でも、前の前の会社でもきっと、その部分をもっと尖らせて、磨くような働きかたができたのかなと思います。

でも、「自分は何が好きで、何が得意で、どうすると幸せか」を学生時代からはっきり見定めてるやつぁそうそういないですよね。いるとは思うけど、そういう人は本当の意味でエリートです。

凡人たる我々は、何となく就職して、違和感を感じながらもぼちぼち働きつつ、成功体験と失敗体験を積み重ねていくなかで、自分のエゴのありかを見つけていくのかと思います。

わたしの母の話

ただ、凡人が自分の本当の欲求を見つけた時は、たいてい、年を重ねています。家族がいて身動きがとれないかもしれない。ブラック企業に勤めて、転職活動ができないかもしれない。いろいろ詰んでいると嘆くときもあるでしょう。

ここで私が「スキルも年齢も関係ない。熱意が大事です」とでも理想論を書けば綺麗にまとまるんですがね。

そうはいいつつ、会社の採用人事にて、「本当にやりたいことを見つけました」と言って目を輝かせて弊社の門をたたく人を、私は履歴書の段階でごめんなさいし続けているわけで、「熱意だけが大事です」なんて口が裂けても言えないですね。

個人的に、「熱意は言葉でなく、行動とそれに伴う実績に現れる」と思っている派なんで…。

どうなんですかね。エゴを見つけるのが遅いやつはもう、できることがないんですかね。

ここで私の亡くなった母の話をしますか。

私の母は、村の役場に勤めるふつうの公務員でした。ですが35歳のころかな。彼女は「自分の書いた文章に反響があるとめちゃくちゃ嬉しい」という事に気づいた。
自分のエゴに気づいた。

そして新聞社に憧れた。

ですが今から40年近く前の話です。群馬の片田舎に住む子持ちの中年女性が転職するなんて不可能に近い。

そこで彼女が何をしたかというと、まず町のアナウンス係に立候補した。そこで村の有線放送に流す原稿の工夫をした。

それが面白いと評判になった。

結果、町の広報誌を任されるようになり、嬉々としてその仕事に取組み才能を発揮。全国の広報コンクールで賞を取るようになった。以来、全国から視察や講演依頼が殺到するようになりました。

彼女のエゴ、ワガママが、惰性で作られていた田舎のつまらない広報誌を変えたのです。

彼女から学ぶべきは、自分のエゴを認識し、言語化すること、そのエゴに従い、手近なところから行動にうつすこと。そして実績を積み重ねることですかね。

そもそも歴史ってたぶん、ワガママな人たちのワガママで動かされてきたと思うんですよ。

歴史なんて大きな話でなくても、会社だって、バイト先でだって、学校の文化祭でも同じですよ。

俺がやりたい、私が見たい。そういうワガママが、すべてを変える、すべてを動かす根源なのかなと思います。

肩書とか身分とかを取っ払って最後に残った武器、それがエゴなんです。

以上、よろしくお願いします。