議論=炎上だとしたら、チームドズルは日々炎上中な件…

お疲れ様です、pontaです。

「議論し、より良い結論にみんなでたどり着くこと」や、「論理を詰めて完成度を上げていく作業」って、それは果たして、炎上なんですかね…。

誰かを傷つけるためではなく、否定するためではなく、共通のWINにたどり着くために、お互いの意見をすり合わせつつ、穴を埋めていく話し合いって大事だと思うんだよな。

それが炎上なら、チームドズルは日々、炎上しています。

というのも、ワイ自身、日々、ドズニキに詰められ、SUPERCELLの脇さんに詰められていたからです。

「その問題設定は適切か」とか、「本当に目的に沿っているのか」とか「議論の余地がないところまで考え抜かれているのか」とか聞かれまくり。

脳みそから煙が上がったのも一度や二度ではありません。

日々、自分の頭の悪さを痛感する日々です。

彼らには、意見をめちゃくちゃ突っ込まれます。というか質問されるんですよね。

「それはこうなったらどうするんですか?」と聞かれて「考えてませんでした」ということが多くてワイ、泣ける

「つまりそれはどういうことですか?」と聞かれて言葉が詰まる。

毎回毎回、ワイの意見やアイディアが、実は穴だらけであることに気づかされてばっかりですよ。もー。

で、それは私に恥をかかせるために彼らがしているかというと、絶対に違うんですよね。

そうしたツッコミを入れることで、ふわっとした部分が埋まっていき、より精度の高い企画に落とし込まれていくのです。

彼らが叩いているのは、「私」という人間ではなく「私の意見」であり、それをすることで初めて「三人寄れば文殊の知恵」になる。

これで逆に相手の心理をおもんばかり、意見を飲み込み、論理の穴を「まあいっか」で済ませようものなら、そこから案の定、失敗し、真の炎上になるわけですよ。

議論、だいじ!

ただ私の前の会社はそうではなくて、議論すると「自分が嫌いだからケチをつけたのか」とか、「馬鹿にしてるのか」と怒る人が多かったです。

せっかく優秀な人が集まっても、議論の中身より「発言力」や「政治力」によって結論が決まってました。

むしろ偉い人の意見を笑顔でうなずいているだけのほうが出世したりして。おかげで私もすっかり、口下手のおっさんになってしまいましたわ…。

でも本当に大事なのは「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」ですよね。

人と意見は切り離して考えなければいけないのに、そうではなかった部分がありました。

今は今で厳しくて、「これがいいと思います」と言っても、「それはなぜいいのか」を、ボロクソにケチつけられながらも言葉を使って、全員を納得させないといけない。

なぜなら、「好き嫌い」はあくまで主観なので、一緒に仕事をする人たちもそれを私と同じく「好き」と思ってくれるとは限らないから。

根拠や証拠のある、筋の通った理屈でないと説得力がないし、ツッコミどころがあると、「理不尽」だと思われてしまう。

理不尽というのは、いわゆる体育会系とかでよくある「黙って俺の言う事を聞け!」がその極地ですね。

誰が聞いても納得できる理屈。ツッコミどころのない完璧な意見。それが正論であり、正論こそが説得力につながるんだと思います。

ただ、「好き嫌い」や「感情論」が物事の根本ではあるんですよね。人の気持ちを動かすのは感情だったり熱量なので。

理屈なんかじゃ、人は動きません。

つまり、人を動かす力そのものが「感情」だとしたら、人を正しく動かす知恵が「論理(ロジック)」なんです。

「情理を尽くす」っていいますけど、結局。どっちも必要なんですよね。

情がなければ人は動かじ。理がなければ人は間違う。

わかりやすく言えば、情がないやつは冷たく見える、理屈がなければ馬鹿に見えるってことです。

心はホットに、頭はクールに。

そんなところを日々、目指しています。

以上、よろしくお願いします。

議論

Posted by ponta