「劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ」は「現代版 水戸黄門」であり、エンディングに「GET WILD」が流れるだけで成功が約束されている件
お疲れ様です、pontaです。
昔、私が子供のころ、「水戸黄門」だの「大岡越前」だのといった時代劇が夕方のテレビで流れていました。
毎回毎回、代わり映えのしないストーリー。ひねりのない流れ。安易なお色気シーン。
尖っていた私は当時、「こんな面白くないワンパターンの番組、誰が見るんだよ」とひとり、怒っていました。
「そういう年ごろ」だったんですよね。
年末の紅白歌合戦では演歌歌手が幅を利かせ、モノマネ番組では私の知らないジジイババアの有名人のマネをしていました。ニュースでは、私の知らない老人の訃報ばかり。
加齢臭のする番組構成に、若き日の私は完全に、置いてきぼり。知らねえっつーの。興味ねえっつーの。
「つまらねぇな」の思いをむねに、前衛的な深夜ラジオにのめり込んだのを覚えています。
あれからウン十年。演歌歌手は紅白からほぼいなくなり「若い歌手」がどんどん、大みそかに出てきています。
ドラマの時代劇は絶滅寸前です。モノマネ番組でも私の知っているような若い人のマネをしてくれます。わかるわかる。うん知ってる。
訃報を聞けば、私が子供のころに活躍した名優の死が増えてきました。
そんな今日この頃、シティハンターの映画予告を見てワクワクしたんですが、そこでふと気づきました。
「あれ…。これって要するに、テレビが若い人に合わせてくれるようになったんじゃなくて、俺がオッサンになった証拠じゃね…?」と。
や、シティハンターも水戸黄門もおんなじなんですよ。
毎回毎回、代わり映えのしないストーリー。ひねりのない流れ。安易なお色気シーン。
おんなじなんですよ!!
私の世代で「かっこいい」「カタルシス」といえばこの男、冴羽リョウのことだったんですが。おじいさんたちにとっての「かっこいい」や「カタルシス」はひょっとして、水戸黄門だったのかもしれません。
ああ、ごめん水戸黄門。バカにしていて。ごめん当時の視聴者たちよ。いまや鬼籍の人たちよ(失礼)。
おもえば、紅白で演歌歌手がいなくなり、サザン、松任谷由実、椎名林檎が出て「若い人も納得の人選」と私は喜んでいたんですが、、これだって今の若い子にとってみれば「誰それ」だったりするのかなと思ったり。
松任谷由実なんて、私の子供のころの美空ひばり的存在なんでしょうねえ(昔凄かったことだけは知っている、的な意味で。歌唱力は段違いですが…)。
そして去年亡くなった有名人。衣笠とか加藤剛とか藤田淑子とか。いまの10代の子は名前さえ知らなかったりするんでしょうねえ。
そういうもんなんでしょうねえ。
かつての若者コンテンツも、時とともに高齢者のものになるさまをまじまじと見ましたわ。
これはもちろん、シティハンターのマンネリズムを馬鹿にしているわけではないですよ。
変なてこ入れをして、エンディングにGET WILDが流れないとか、声優を変えるとか、香が死んで心臓だけが生き残るとか、そういうことのほうが問題ですから!!(熱いエンジェルハートへの流れ弾)
そういうの求めてねぇから!!
このツイートの気持ち。わかるわ。
これは草
シティーハンター見てみたいな… pic.twitter.com/2E8i8uhQfB— ジュナ????????@しゅー吉 (@enoeno39) 2019年2月16日
いや、求められているものを、求められている通りに作ることもまた、大事だと思うんですよね。
だから、何が言いたいかというと、子どものころ水戸黄門に対し「印籠を出さずにカタつけろよ」とか「由美かおる風呂入ってんじゃねーよ」とか「テーマ曲変えろよ」と言っていた私は間違っていたと。
おっさんおばさん、じーちゃんばーちゃんが求める通りのものを作ること、それもまたエンタメの極意なり。
そういう意味で、GET WILDがエンディングに流れるという噂のシティハンターは、もうそれだけで、ベタに成功の約束された作品なんだろうなと思っています。
以上、よろしくお願いします。
ディスカッション
コメント一覧
シティハンター、エンディングの「GET WILD」はもう、
Pontaさんのブログのオチ後の「以上、よろしくお願いいたします。」
でしょ(^^)/
鍋の締めの雑炊しかり、
飲み会から帰ってきて食べるお茶漬けしかり。
安定と安心。信頼と実績。
ドズルさん、また止まってるんでパワハラお願いします
くっ