「能力」とか「才能」なんて、積み重ねたインプットとアウトプットの時間量の差に過ぎないッスよね

お疲れ様です、pontaです。

自分はクラクラブログでよく「pontaさんに勝ちます」と狙いをつけられることが多かったんですが、申し訳ないけど「あ、ムリです」とずっと思っていました。

自信とか傲慢とか、そういうんじゃないですよ。もう単純に、事実として、「書くこと」に関して積み重ねた時間が違うんです。いや本当に。

前も言いましたけれども、私は高校時代、3年間、毎日2時間以上、ラジオに投稿するネタハガキを書き続けていました。

授業中もそこそこネタを考えてたんで、累計で10,000時間くらいインプットアウトプットに費やしたかなと思います。

誰と話していても、何を見てもラジオネタにつなげて考え、ハガキに文章として落とし込む作業。それを毎日!3年間。

つまり私は、ネタを産み出し、毎日投稿することに関して、脳みその一番柔らかい時期にそれに特化する特殊訓練を施され済なんです。環境に適応済みなんです。

あ、これは過去の栄光自慢とかじゃないですよ。正直、はがき職人だった過去は私の恥部であり黒歴史です。なにが自慢できるんすかこんな過去。クソじゃないすか。

みなさんが高校時代、彼氏彼女とキャッキャいってたころに、あるいは部活や勉強をしっかりがんばってたころに、私は田舎の男子校で毎日、部活はそこそこに、家に帰ってはひたっすらラジオで読まれるための文章を書きつづっていました。

気が付けばAM、FMラジオの帝王的な。

偉いか偉くないかといったら、ゴミ寄りの青春だと思っています。

んで、そんなしょーもない人が、ひとつのゲームコミュニティに何人もいるとは思えないわけですよ。日本全体ならたくさんいるかもですが。狭いコミュニティにほかにいてたまるか。

そんなだから、挑戦者がわたしの前に現れても「その戦場で勝つのはふつうにムリです。あなたが相手にしている私は特殊な人間です」としか思えない。

ネタだし、継続、表現方法。短くも魅力的な文章とは何かを考え抜く青春。すべての訓練を一通り終えているテキスト傭兵です。

いわば、私は高校時代、文章でのアウトプットを毎日毎日行い続け、第三者(放送作家やタレント、DJなど)の批評の目に晒してはボツにされて泣き笑いした「手慣れた人」なんです。

なんていうのかな。高校3年間、バスケ部で毎日2時間、シュートの練習をずっとやってた人からしてみたら、バスケ部じゃない人のシュートは、どんなに運動神経が良くても「フォームが固まってない。圧倒的に練習量が足りない。惜しい」と感じると思うんですが、イメージとしてはそれです。

つまり、この私の、「コラムの小品をさらっと書き上げるスキル」は、才能とか気質とか、それも多少はあると思うんですけど、最終的には「練習に費やした時間」。これに尽きるんです。

努力主義とかくそくらえですけど、それでもやっぱり、人間は積み重ねたインプットとアウトプットの量だけでできているなあと思う時があります。

ある程度の素質を持っている者同士の争いなら「そのことにどれくらい時間をかけたのか」だけ。本当にそれだけの勝負だと思います。

だから私だって、「コラムをサラッと書き上げる」とか「感情を揺り動かすスピーチ」は確かに慣れてるけれども、そのぶん、できないこともめちゃくちゃ多いです。インプットをぜんぜんしていない箇所もたくさんあるから。

ほかのライターさんのようには書けない文章や記事もたくさんあります。その訓練に時間をかけてないから。

なので、何かをできるようになりたいのなら、誰かに勝ちたいなら、とにかく量を積み重ねること。時間を絶対的にかけること。

人生とはシンプルに、そういうことなんでしょう。

とまあ、そんなことをえらそうに言う私はいま英語の勉強はしないし、クラロワの練習だってしません。

練習時間を積み重ねれば上達する可能性を持っているのにしない。人生の真理を知りながら行動に移せない。それもひっくるめての「才能」なんでしょうねえ。つらいなあ。

いっぽう、私にもし才能らしきものがあるんだとしたら、「高校で3年間、毎日ハガキを書き続けたこと」から始まって、「ブログを20年近く続けていてまだ辞めない」ことなんだと思います。

「今」を積み重ねた膨大な時間の差。それだけが人と人の間には横たわる。

若人よ、中年よ。

時間を積み重ねよう。とにかく、時間の絶対量を確保しよう。インプットとアウトプットの時間だけがあなたを作る。

君はまだ、なんにでもなれるのだから。

とはいいつつ、繰り返しますが、私は私で、それを深く理解しながらも行動に移せないろくでなしなんだけど。

以上、よろしくお願いします。