映画「ボヘミアンラプソディ」が評論家の間で酷評され、逆に観客の満足度が極めて高い件で

お疲れ様です、pontaです。

映画「ボヘミアンラプソディ」の2回目を見てきました。

今回はQUEENについていろいろ調べた後だったので、「史実との違い」や「本物のフレディの良さ」が脳裏にチラついて、1回目ほどは感激しなかったかな。
でもやっぱり音響は最高だったし、最後のライブエイドのシーンにはぐっときました。3回目を見にいってもいいくらいです。

「ボヘミアンラプソディ」の面白いところは、評論家の評価が押しなべて低く、観客の評価が極めて高いところです。

https://blogos.com/article/344636/
おそらく、英語圏の、しかも40代、50代の映画評論家にとってQUEENはもはや”基礎教養”なんでしょう

つまり、QUEENを長い間愛し、そのぶん深い知識を持っている。そんな肥えた目で映画を見れば、QUEENの15年の物語の省略、脚色が気にならないはずがない。

主人公のパフォーマンスがフレディより劣る。当たり前ですがな。例えば映画でダヴィンチやピカソを演じる俳優が、モナ・リザやゲルニカを描けないように、フレディのパフォーマンスはフレディしかできないのであります。(それでも主演の俳優はめちゃくちゃがんばってると思います)

そのうえでこの映画の最大の価値を再定義すると、「風化しようとしていたQUEENをふたたびよみがえらせ、そのライブを体験させた」。ことに尽きるんじゃないでしょうか。

「QUEENが風化すわけないじゃん」という声もありましょうが、アラフォーの私でさえ、QUEENのことは何も知らなかったんですよ。

ましてや10代、20代の人にとってみればライブエイドがあったことさえ知らない人が多数でしょう。私も知りませんでした。

せいぜい、「ヒゲの生えたタイツ姿のおじさん。曲は2,3曲、知ってる」程度でしょう。

そういう、マニアからすれば無教養な、素人の連中に、この映画という、「QUEENの初級読本」を読ませたことの意義は大きい。

いわばそれらニワカがアルバムを買い、曲にはまり、フレディについて知識を深めて、コアなオタクになっていくんです。

ニワカなきジャンルは滅びる。

そういう私だって、やり込んだゲームや、大好きなバンドが、脚色と単純化を交えて大衆に広まるのを見たら複雑な気持ちになるかもしれない。

だけれども、そのような葛藤よりもむしろ、伝説が新たに語り継がれ、広い世代で価値が再発見され、歴史の地層の厚みが増していくことを喜んだほうがいいんじゃないかなあって思いました。

QUEENが好きな人なら、いずれ本物や真実にたどり着くだろうしさ。

以上、よろしくお願いします。