君は君の才能を燃やし尽くさずに死んで満足なのか

お疲れ様です、pontaです。

昨日、絵師のWillyさんとお仕事の打ち合わせをしました。(Willyさんは、このゲリブロのトップ画像を描いていただいた方です)

今後、いろいろ面白いことが一緒にできるかと思います。こうご期待。

ただ私は、「彼女の絵の持っている力」に対して、「世間の知名度」が追いついているとはまだ思っていなくて。

もっと知られてもいいはずだと思うんですよね。

「お前はもっといけるだろう、もっと高みに昇れるだろう!」というモヤモヤがずっとぬぐえず。他人事ながら、やきもき。

そりゃ彼女より絵の上手いひとはたくさんいるかもしれないけれども、そこに描かれたキャラの魅力は無二のものだと確信しているわけですよ。

だからクラクラ、クラロワはもちろん、もっともっと広い世界に彼女は知られないとおかしい。そのギャップは埋められるべきだ!埋められないとおかしい!という気持ち。

そして、そのもどかしい思いはドズル氏の知性や才気、 そして私の文章力についてもそうなんですよ。

「俺たち、もっといけるはずだろう!俺たちはこんなもんかよ!俺たちは、俺たちにしかできないこと、ちゃんとやれてるか!?」ってなもんです。

私はもういいトシですけど、自分の持ってるものをまだ全部出し切ってない、そしてそれをまだ世間に知らしめていないっていう実感がずっとあって。

自分と、自分のまわりの人たちがすべてを出し切ってから死んでほしいなと。

日本人、みんな知れ!俺たちを知れ!って叫びたい強い衝動は抑えがたい。

いや、他人との勝ち負けではなくてですよ。同じ文章力でも、私には書けない文章を書ける文才の持ち主は世間にたくさんいるとは思います。

私、雑な性格が影響してか、テキストの粗っぽさは恥ずかしいくらいです。攻略記事とかゆるゆるです。

ただ私の文章は、ふだん本を読まない人でもなぜか読める敷居の低さとリズム感。さらに大衆ムードの的確な言語化は卓抜していて、魂が乗ったときのパワーの強さに至っては特筆もの。天性のコラムニストでして、そこは誇れるなと自己分析。

そしてこの力はまだ4割くらいしか出してないし、伸びしろしかないので、あと何年生きられるかわかりませんけど、作るぞ!戦うぞ!という決意も、新た。

ふだんの生活で、クラロワのプロ選手とか、きおきお君とか、若くて未来あふれるキラキラしてる子と日々接していてるけれども、いやちょっと待てと。

俺たちも、ぶっぱなしてんのかと。成長してんのかと。

戦ってんのかと。

そもそも私のモチベは「ギャップ埋め」なんですよ。本来あるべき姿になっていないと、イライラする。

世間で評価されている人と私の評価が食い違ったら言語化せずにはいられないし、無名の佳作や名人を見れば推さずにはいられない。埋めたいなと。

そしてさらに、こちらの読者のみなさまも、きっと、持って生まれた才能や志向、いろいろあると思うんですよ。

ライティング、絵描き、組織づくり、製品づくり、企画力、運営力、編集力、出世力、育児、料理、お金儲け。なんでもいいですけれども。

それを燃やしつくさずに死んで、知られないまま埋もれて、生まれた意味があるんですか!?

で、こんなふうに才能とか、戦うとか、勝つとか言うと、それは笑われる、引かれる、あきれられる、批評の対象になると思うんですよ。

「戦いたくても戦えない、育児中の主婦だっているんですよ!」って斜め左上から叩かれるかもしれない。

「お前に才能なんてないよ」ってサゲられるかもしれない。

でも、自分を信じる人生か、信じない人生か、どっちがいいかって話ですよ。

俺はできるし、あなたもできる。

みんながみんな、持ってる良さをすべて貪欲に出していけば、日本はきっといい国になるなと!

というところで、どうかひとつ。来週もがんばっていきましょう。

ちなみにこの文章は鳥の糞が頭に引っかかった怒りにまかせて書かれました。鳥、ぶっ殺す。

以上、よろしくお願いします。