pontaオワコン説!? 3000万アクセスは過去の栄光な件

pontaオワコン説!?

昔のワイは、凄かった。そして辛かった

お疲れ様です、pontaです。

私は2013年にクラクラというゲームに出会い、2014年からブログを書き始めました。

クラクラのゲームパワーにも乗っかって、数千万という信じられないアクセス数を稼ぎました。

書くことを心から楽しみ、結果もついてくる。2015年、自分は確かに圧倒的でした。

しかし2016年から、モチベの低下とプライベートの変化で更新頻度は減。
クラクラというゲームの退潮もあり、クラロワにスイッチした配信者との差も歴然。

発信者としての私は明らかに下り坂でした。

とはいえ、2015年までに築き上げた知名度や発信力は群を抜いており、またクランメンバーの大会成績も素晴らしかったためにいわゆる「腐っても鯛」状態でだましだまし、やっていけておりました。

ただ、すでに多くの人に名前が知られた状態でのブログ執筆は、モチベをさらにすり減らす作業でした。

がんばって書いても、得られる報酬は、「すでに自分のことを知っている人たちに、忘れないでいてもらえること」。

いわば「挑戦」ではなく「維持」であり、「攻め」ではなく「守り」のライティング。

大事な仲間たちとの繋がりを切らさないためのタイピング作業なわけです。

どんなRPGでも主人公になるのは、「有名で巨大な魔王」を倒す「小さな勇者」です。

ブログ開設当初はまだ、私はその勇者よろしく、巨大な有名クランを倒すための戦いに没頭していました。

ただし。その勇者が魔王を倒したあと、有名で巨大になったあとどうすればいいのでしょう。

次なる勇者に討たれるべきか、討たれないよう剣を鍛え続けるべきか。

それとも、「勇者様」の名声を捨て、レベル1から別の世界でやり直すか。

いずれにしてもおつらい話です。

新しいブログを始めたけれど

で、それから2年。なんだかんだで別の世界に旅立って今に至るわけですが。

この新ブログも、アクセスカウンターを見れば300とかその程度にとどまっており、うわ少ねぇとか正直思うわけです。

ドラクエで例えれば、昔は天空の剣もイオナズンも使えたのに、異世界に転送した今は鉄の剣やギラがやっとの状態で。

「勇者様」と称えられた栄光は昔。今は一介の戦士にすぎません。

新しい魔王との差は歴然です。

そんな今日この頃。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

そもそもオワコンとは

そして本日、ドズニキと歩きながらこんな話を彼から聞き、思うところがありました。

「ゲームの発信者は別のゲームにいくとイチからスタートでそれに耐えられない人が多い。チヤホヤされた記憶、過去の栄光を捨てられない。それって老人ですよね」。

そういうドズニキも8月は再生数が不調でしたし、ユキ旦那さんも登録者数の減少が止まらないそうです。

かつて、ピークの時には疑うことなどなかった自分の限界。

頭をよぎるのは昔の一番良かったときの数字。すがるのは過去。

これって、どうなんでしょうね。

ただ私は、文章を書いてて今が近年で一番、楽しいです。

またいちから魔王を倒す旅をスタートした気分。丁稚奉公からの再修業。

ゆうて、人がオワコンになるのもヤキがまわるのも老いるのも、守りに入ったときだと思うんですよね。

「誰が何と言おうと俺は楽しい」という攻めの姿勢、変わり続ける勇気、歩みを止めない継続性。それこそが目に見える数字より大事なんじゃないかなって。

銀行の支店長が平社員から、番頭が丁稚奉公から再スタートはプライドが耐えられない人も多い中で、でもサバイバルするにはそれっきゃないじゃないですか。

リーマンにしてもクリエイターにしても経営者にしても、守りに入った瞬間こそがオワコンだよねえと最近つくづく思います。

いまブイブイ言わせてる人も、イケイケの若者も、いずれはくる老い。踊り場。引き潮。そこでまた裸一貫、球拾いから始められるかどうか。それこそが男の器ってやつなんじゃないでしょうか。あ、女性もね。

攻めていきましょう。だってそっちのほうが、楽しいじゃんか。

以上、よろしくお願いします。